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斎藤一が選んだのは死ににいく道 [日記]

NHK大河ドラマ『八重の桜』第25回『白虎隊出陣』の中に新撰組副長・土方歳三と
斎藤一が別れる場面がありました。

会津はこれ以後籠城戦となって援軍は来るあてがないのでこれままここにいても負け戦
となることはわかりきっていました。とりあえず自分は仙台に退却するので行動を共にするようにと誘う土方に対して斎藤一は「義にあらず。それは士道に背くものだ」と異を唱えて会津へ帰ることを決意していると打ち明けました。
「会津軍は玉も尽きかけている」と説得しようとする土方に対しては斎藤は「玉が尽きかけてもまだ刀がある」とにやりとして力強かったのです。

「ならば俺は俺の戦をしに行く」と土方は言ってここで二人は別れることととなり、土方の方はそれ以後周知の通り仙台→北海道へと転戦していくことになります。

それぞれにそれぞれの人生があるのですが、とりあえずは退却する道を選ぶことのほうが合理的だと思えますし、以後の計画も立てやすいと思います。土方も言っていました。会津へ帰るということは死ににいくということだ、と。


それなのに斎藤一はなぜ会津と運命を共にする道を選んだのでしょう


土方は「会津に好きなおなごでも出来たのか?」と尋ねていました。


斎藤一の答えはそれを否定して会津に心酔したのだと答えていました。

今まで新選組を庇護し続けてくれた会津が滅亡の危機に立たされているのに、見捨てる訳にはいかないと言っているのでしょう。主力部隊をあちこちある峠に分けて向かわせなければならない会津に少しでも助力しようと考えたのでしょうか。
京都守護職だった時から容保の配下にいた新選組の一員として、斎藤一は容保に殉じようとしたのかと思います。容保その人を下でずっと見続けてきて信頼に値する人物だと感じていたのでしょうか。

とりあえず土方とともに行動する道もあったでしょうにその道を選ばなかった理由は今はこれぐらいしか考えられません。


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